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釜援隊とは
釜援隊の制度設計
釜援隊の活動
リージョナルコーディネーターの価値
リージョナルコーディネーターの価値
01
釜石から教わったこと――誰かの為に生きた人ほど前を向いていた
自宅や家族を震災で失ないながらも、復興住宅の自治会長になった方はこう言いました。「一人でいると悲しみに苛まれて苦しくなる。同じアパート(復興住宅)の人たちが”家族”になれるように頑張ることが、今の自分を支えている」自社が被災しながらも商店街の復興のために日夜奔走してきたある事業者の方も、「自分が辛いときこそ誰かのために働くことで、不思議と前を向く力が出た」と話します。
釜援隊は釜石のまちづくりを応援しながら、「誰かの為に働いている人ほど、現在(いま)に幸せを見出し未来に希望をもっている」と感じてきました。
【※活動紹介ページ】
02
”復興感”にはまちづくりに関わる機会や人とのつながりが必要
被災地復興の文脈で言い換えれば、これは
「まちづくりに関わる人ほど、”復興感”を持てる」
ということ。特に経済が右肩下がりの社会では、
大切な人や物を失ってしまった時、新たな人とのつながりが”復興感”の必要条件となる
のです。これらは阪神淡路大震災や中越地震の復興支援者たちから引き継いだ教訓でもありました(図1)。
そのため復興支援員である釜援隊は、様々な人や資源を地域の内外でつなぐことでまちづくりに関わる市民を増やすことをビジョンに掲げています(図2)。
中越地震からの学び
(図1)
(『震災復興が語る農山村再生-地域づくりの本質-』p.54,62を元に作成)
復興に関わってきた物ほど、
ハード復旧後に「復興」を実感する
釜援隊の活動ビジョン
(図2)
〈釜援隊が目指す市民像〉
03
幸せ・希望の創出はSustainabilityの土台
釜石市が2016年3月に行った市民意識調査でも、地域活動への参画度合が”復興感”に比例することが明らかに。更には、
地域活動に参加するなどまちづくりに関わった人ほど、友人や家族などの大切な人をそのまちに呼ぼうとする
ことも分かりました(図3)。関係人口が益々重要となる地方社会において、これは貴重な気付きです。
【参考記事「復興と地方創生のあいだにあるもの ~釜石市のまちづくり戦略と実践~[まちづくり釜石流]】
また、2015年に国連で採択された「Sustainable Development Goals(SDGs)」には環境保全や技術革命など様々な指標がありますが、その土台となるのは市民が「このまちで生き続けたい」「自分の子孫までこのまちを引き継ぎたい」と思い行動すること。すなわち、
人々がつながりまちづくりに関わり、幸せや希望を感じることは、SDGs達成の土台
でもあると言えます(図4)。
2016年3月に実施した
釜石市民意識調査結果
(図3)
(無差別抽出 N=2,000、有効回答数580 )
地域への参画度合いと地域に人を呼び込みたいという感情の相関図
まちづくりに関わった人ほど
友人や家族などの大切な人をそのまちに呼ぼうとする
国連で採択された17の
Sustainable development Goals
+釜援隊が考える土台
(図4)
(0番目のGoal)
04
支える人を支える仕組みを地方社会に
人や組織のつながりをつくるために有益なのが、支援者(特に外部人材)などの第三者です。一方、支援者が活動を続けるためにも、活動のやりがいや未来への希望が必要なのは同じこと。
いかに外部人材などの支援者も成長できる環境を用意するかが、日本の地方社会における喫緊の課題ではないでしょうか。
釜援隊ではこのような観点から、活動の自由度を担保する「8:2のルール」や現場隊員をフォローするマネジメントを内包するなどの工夫を凝らし、外部人材と地域の還流を持続化させてきました
【※制度設計ページ】
。
05
「誰かの為」が循環する社会へ
漁村集落の活性化を支援してきたIターンの隊員は「釜石には共に生きたいと思える人たちがいる」と、復興支援員としての活動を終えたあとも釜石に住み続けると決意しました。 隊員の心を動かしたのは、「地域にとっても、そして君にとっても意味のある活動をしていこう」という地域の方の言葉であったといいます。
誰かの為、まちの為にと働く人びとが増え、その想いが循環する社会となったとき、21世紀の人々が目指す「Sustainable development(持続可能な発展)」が実現するのではないでしょうか。
全ての根幹となる人と人のつながりをつくる存在として、リージョナルコーディネーターはこれからのまちづくりを支えていきます。
\釜援隊はこんな風に取り上げられています/
メディア掲載情報
有識者の皆さんのコメント
※肩書は2019年時点のもの ※コメントを頂いた順に掲載しております
嶋田 賢和さん
(元釜石市副市長)
https://diamond.jp/articles/-/33701
名は体を表すと言いますが、釜援隊のポイントも、「釜」・「援」・「隊」の3文字に象徴されているように思います。
まず、「釜」。言うまでもなく釜石市の「釜」であり、人口減少時代の持続可能なまちづくりに奮闘されている釜石市において、様々な役割を通じ、こうした取組みに貢献することは、意義あることと思います。
次に、「援」。支援・援助の「援」ですが、大切なことは、双方向であることだと思います。私自身、東日本大震災後の3年間を釜石の皆さんとご一緒しましたが、この間、私自身が、皆さんの熱意に勇気づけられ、たすけられました。
最後に、「隊」。人の集団を表し、英語ではパーティに相当しますが、仲間とともに明るく前向きに取り組むことが、重要なのだろうと思います。
藤沢 烈さん
(一社)RCF代表理事
http://rcf311.com/profile/
釜援隊が持つ価値は3つある。1つ目は、外部人材が地域に関わる機会を生み出したことにより、移住ではない関係人口と呼ばれる関係性をつくってきたこと。
2つ目は、省庁や企業を含む、地域だけでは繋がれない地域内外の関係者との連携を推進してきたこと。3つ目は、人材活躍と観光の場としての釜石の可能性を発信してきたことである。
復興や地域活性が進む地域とそうでない地域の差は、住民が外部と交流できているかにあると言われる。
釜援体の活動を通じて、外部の個人や組織がスムーズに釜石に関わることができ、結果的に釜石はオープンな復興を進めることができた。
稲垣 文彦さん
(公社)中越防災安全推進機構
業務執行理事 統括本部長
http://www.rise-tohoku.jp/?p=4283
災害は、社会の「ひずみ」を顕在化させると言われています。
東日本大震災は、社会にある様々な「はざま」を顕在化させました。これは釜石市のみならず、時代の変化に対応しきれていないどの市町村にも等しくある「ひずみ」とも言えます。
釜援隊は、その「はざま」にいち早く気付き、そこに入り込み、様々な新しい価値を生み出してきました。
これからの釜援隊には、この貴重な経験と教訓を東日本大震災の復興に留めることなく、新たな社会づくりの為、広く社会に還元していく責務があります。釜援隊の益々の活躍を期待します。
堀 久美子さん
コミュニティ・アフェアーズ
社会貢献 アジア太平洋地域統括
UBSグループ
https://miraimanabi.withgoogle.com/project/project-detail-3.html
2011年の東日本大震災からの復興の歩みを進める釜石市は、多くの市民や内外の関係者と共に、釜石の未来について議論を重ね、かつてない急激な社会経済環境の変化にしなやかに対応しながら、持続可能な地域社会づくりを追求する「オープン・シティ」となることを目標と掲げました。「オープン・シティ」とはすべての市民が自分らしく幸せに生きることを追求し、釜石市内外の多様な人々のつながりが育まれ、異なる考えや意見に寛容で、かつ変化や困難を受容する再起力(レジリエンス)の高い、開かれた地域社会の在り様を指します。
この実現に向けては、市民一人ひとりの主体性が促進され、自己決定が尊重されると共に、性別や年齢などにかかわらず多様な人が活躍できる環境づくりが肝要です。こうした取組により、釜石市は多くの人々から選ばれ、新たな価値や取組、事業が創出されることが期待されます。
より限られる資源でより大きな課題に臨み、釜石市民と地域社会全体が、多様性への共感と寛容さを持ち、持続可能で、子ども・若者たちの可能性と主体性を最大限に拓かれる機会を創造するには、これまでのような「+足し算」の連携ではなく、「×掛け算」でのソリューションと実践が求められます。
地域コーディネーターである「釜援隊」は、まさにこの「×かける」になってくれるものと期待しています。
中村 健一さん
日本アイ・ビー・エム株式会社 グローバル・ビジネス・サービス事業本部
シニアマネージングコンサルタント
https://www.ibm.com/ibm/responsibility/jp-ja/initiatives/index.html
私が身を置く情報サービス業界ではプラットフォーム(=土台)という言葉が流行っています。その流行り言葉に乗ると、釜援隊とは、官民のはざまで価値を生む新しい復興・創生の"プラットフォームの担い手"と個人的には捉えています。釜援隊の皆様とは、2017年11月から約3ヶ月間、釜援隊の2020年までの中期ロードマップを策定する「釜援隊の海図プロジェクト」でご一緒しましたが、その活動の中で理解・認識をしたのは、リージョナルコーディネーターと呼ばれる隊員の皆様が、釜石市・釜石市民の皆様のためとなる仕組み・仕掛けをどこまでも”市民”・”現場”視点で構築し、血の通った、温かいプラットフォームを釜石という場所で育まれてきたという事実です。それは釜石市役所や地域(協働先)の皆様とのインタビューの中でコメントを頂いた「地方創生には、釜援隊のようなコーディネーターが必要である」「より民に寄り添った半官半民組織であることは先進的な取り組みである」という言葉が証左であると言えると思います。今後も釜援隊の一ファンとして、リージョナルコーディネーターの価値をぜひ日本・世界に広めていただくことを期待しております。
佐柳 恭威さん
バークレイズ証券株式会社
事業継続管理部
ヴァイスプレジデント
https://www.barclays.co.jp/citizenship/tohoku/
釜援隊のサポートを頂いて設立した釜石・大槌バークレイズ林業スクールも今年で5年目を迎えます。『常に地元のニーズを第一に考える』というバークレイズの方針は設立準備段階から一貫したものでしたが、釜援隊の参画なくして、地元のニーズを形にすることはできなかったと思います。常に地元に軸足を置いて、地元の声を私たちにつなぐ役割を果たされたのが、釜援隊でした。釜援隊は、決して臆することなく、常に真っ直ぐに地元のニーズ私たちに示し続けてくれました。釜石地方森林組合、釜援隊、バークレイズが力を合わせることにより釜石・大槌バークレイズ林業スクールが5年に渡り活動を続けてこられたのだと思います。
宇野 重規さん
東京大学社会科学研究所教授
https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/mystaff/uno.html
東日本大震災から早くも8年の月日がたちました。本当に被災した地域は「復興」したのか、誰しもがこの問いについてあらためて考えています。
道路や建物の整備は、ある程度進みました。問題は「人」です。多くの地域住民が立ち上がり、日本や世界各地から来た人々がそれを支えました。問題は両者をいかにつなぐかです。釜援隊は見事にこの任務を果たしてきました。さらには住民と行政、企業、NPO、研究者をつないでくれました。まさに地域のコーディネーターとして、大車輪の活躍でした。
しかしながら、その意義が真に問われるのはこれからではないでしょうか。
釜援隊がつくった「つながり」が、これからも維持され、発展していくのか。真にコミュニティの一部として機能していくのか。被災地の「復興」についての答えが、そこにかかっていると思います。
江口 晋太朗さん
編集者/ジャーナリスト
TOKYObeta Ltd代表
https://eguchishintaro.jp
地域に新たな価値を生み出すには、いかにして外とのつながりをつくるかが重要です。それは、ただインバウンドだけでなく、情報やノウハウなど様々な関係性を持った人が持つ見えない価値が必要です。
まちづくりに取り組むプレイヤーだけだと、身近な人たちやその地域のなかだけで完結しがちです。地域の「より良いかたち」を模索するためには、地元で立ち回る人と、外部とのつながりを作る人このバランスがあることが、地域を持続可能なものにしていきます。
釜援隊は、まさにこれからの地域に必要なコーディネーターとしての役割と必要な経験を培ってきました。複雑な情報や物事を整理し、「地域を編集する」役割の人が中と外をつなぐことで地域にとって多様な関わりを作りだしています。持続可能でより良い地域とするために、これからの釜援隊の広がりに期待しています。
(元釜石市副市長) https://diamond.jp/articles/-/33701 名は体を表すと言いますが、釜援隊のポイントも、「釜」・「援」・「隊」の3文字に象徴されているように思います。
まず、「釜」。言うまでもなく釜石市の「釜」であり、人口減少時代の持続可能なまちづくりに奮闘されている釜石市において、様々な役割を通じ、こうした取組みに貢献することは、意義あることと思います。
次に、「援」。支援・援助の「援」ですが、大切なことは、双方向であることだと思います。私自身、東日本大震災後の3年間を釜石の皆さんとご一緒しましたが、この間、私自身が、皆さんの熱意に勇気づけられ、たすけられました。
最後に、「隊」。人の集団を表し、英語ではパーティに相当しますが、仲間とともに明るく前向きに取り組むことが、重要なのだろうと思います。