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「社会的インパクト」とは、短期、長期の変化を含め、当該事業や活動の結果として生じた社会的、環境的なアウトカムのことです。(社会的インパクト評価イニシアチブHPより)
※参考記事
釜援隊流!ロジックモデル~事業者連携支援編(期間2014.10~2019.03)~
釜援隊ストーリー~事業者連携支援編~
こちらの記事は2018年6月~9月発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです
01
曇天を晴らすようにミュージシャンが拳を掲げた。大音量のロック音楽に耳を傾けているのは、若者や家族連れ、近隣の復興公営住宅に住む高齢者たちだ。2018年5月、再建した店が立ち並ぶ東部地区で Oh!マチMusic Festaが開かれた 。再建されたばかりの市民ホール前には特設ステージが用意され、空色のスタッフTシャツを着た事業者と釜援隊員たちが出店で商品を売る。その光景は今のまちの縮図のようだ、とある参加者は話した。
東部地区では昔から事業者たちがまちを盛り上げようと協働する文化があった。2010年に大町商店街振興組合が始めた音楽祭「大町ミュージックフェスティバル」もその一つ。しかしその意味合いは東日本大震災を契機に深みを増した。
東部地区に存在した4つの商店街組織は、被災後、大町を残しすべて解散。事業者たちが再建を断念したり移転したり、商業地域の構図が大きく変わるなか事業者を取りまとめる組織が無く、近隣の店の詳細が分からない、復興事業の情報が行政から伝わらない、など不安を感じる事業者が多かったという。
事業者たちの連携基盤として2012年に結成されたのが釜石東部コミュニティ振興グループだ。最終的に加入したのは地区内の66社。代表の齊藤裕基さんのとりまとめのもとグループ補助金を申請し、市街地復興の推進力となることが期待された。
2014年12月、同地区では復興公営住宅の建設が進み、他地域から多くの住民が移住し始めていた。新たなまちが出来つつある。齊藤さんは「事業者と住民が力を合わせ、この地区で共に生きていく覚悟を示すべき時ではないか」と、大町商店街振興組合理事長の新里耕司さん、一般社団法人RCFのメンバーや二宮雄岳隊員らと話し合った。
目をつけたのが、震災後途絶えていた音楽祭だ。イベントの理念を見直し、名前を「大町」から「Oh!マチ」に変更。地域や立場の違いを越え、“マチ“中で賑わいを創出する場づくりを試みた。新たな挑戦だった。
「支えてくれた人たちに、復興の姿を示そう」齊藤さんらの声がけに応じた運営スタッフのなかには、被災した事業者も多い。それぞれの事業再建と並行しながらのイベント準備は数か月にわたり、会議が行われるのは仕事終わりの夜。
事業者間の役割分担やモチベーションの維持も当初の課題となった。RCFと齊藤さんらは組織体制を一からつくり、議論が行き詰まれば二宮隊員が「何の為のイベントか」と事業者たちに問いかけたという。2016年から加わった花坂康志隊員は、会議の議事録作成やスケジュール管理などの裏方に徹した。
2018年、4回目のMusic Festaには約2000人の市民が来場。県内外から集まるミュージシャン、地域の店の商品を紹介する出店など、イベント内容は年々パワーアップしている、と齊藤さんは感じている。
夏には同地区の事業者たちでラグビーワールドカップ2019™のプレイベントへの出店も予定。本丸はその先にある。マチの復興――全ての事業者がにぎわい創出に参画する日を目指す。
(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)
地域の声
齊藤裕基さん(57) 釜石東部コミュニティ振興グループ代表
※年齢・肩書は取材当時のもの
被災地では人々の連携が必要だと言われるが、複雑な感情が交差する状況で協力し合うことは簡単ではない。2012年に振興グループの代表を頼まれたとき、誰かが中立に立ちまとめ役にならないと復興が進まないと感じ、引き受けると決意した。
事業者たちが補助金を得られるよう、事業計画や申請書作りを手伝う日々を過ごした。振興グループがMusic Festaの後援を決めてからは、事業者たちに参加を求めて回った。私の会社も市内外にあった事業所は全て津波で流され、グループの代表として人前に立てば心ない言葉を受けることもあった。震災後はしかし、自分よりも他人の大変な姿ばかりが目に入った。「人を支援することで自分が癒される」と著名な心理学者の本にある。本当にその通りで、様々なものを失った人たちの大変さを軽減させたい、と思って動くと自分の心も落ち着いた。
根底にあるのは、事業者同士の絆を強めたいという気持ちだ。会議やイベント運営で顔を合わせれば「今どんな商品を扱っている?」という話になる。互いを知っていれば、新たな商売先やお客さんにつなぐこともできる。くたびれることもあったが、自分のビジョンにいつも共鳴してくれたのが釜援隊やRCFの人たち。彼らと話すと視野が広がり、力が湧いた。
イベント開催の本質的な目的は、皆で一つのことを成し遂げることだと思っている。多くの人と交われば、自分たちの商売、そしてまちの可能性は広がる。既存の枠組みにとらわれず、まちの将来に必要なことをしていきたい。
02
官民協働 新たな局面 マチの思い映す景観とは
新たなフェーズに入った。夜の小さな会議室で、仕事終わりの事業者たち、市商業観光課と釜援隊員は話し合っていた。議題は復興事業が進む市街地の歩道の柄。濃淡のグレーのブロックをどう配置するか。代表者たちは、事前に行われた分科会で各地域の事業者たちから集めた意見を報告した。
会議の終わりに佐々木護さん(市商業観光課)は言った。「皆さんにも動いていただき感謝です。引き続き、一緒にまちの景観整備を考えていきましょう」佐々木さんの声に事業者たちはうなずいた。
東日本大震災後に東部地区の2つの商店街が解散し、一番当惑したのは行政であったかもしれない。まちの復旧事業を進める際に、地域の事業者の声を集約する組織がなかったのである。
市商工労政課(当時)は被災した事業者を個別に訪れた。しかし、状況の異なる事業者にあまねく寄り添い、声を吸い上げる難しさも痛感したという。
せめて商店街組織が再編され事業者の総意が形成されれば…と、市も事業者も手を尽くした。2015年春には、市と大町商店街振興組合の意見交換会を経て大町商店街区域の拡大を検討開始。2017年には専門機関の協力を得て取り組んだが、商店街振興組合法の要件に合わず、市は商店街の区域拡大を認可出来なかった。
「要望がまた叶わなかった」落胆する事業者の声を聞き、行政と事業者の間には埋まらない溝があると思った、と市の関係者は振り返る。
東部地区では一方で、事業者同士の連携の機運が高まっていた。ミュージックフェスタの運営などで事業者と協働していた二宮隊員と花坂隊員は、ラグビーワールドカップ2019™に向け自らまちづくりに関わりたいと思う事業者が増えている、と佐々木さんに伝えた。「まずは市街地の環境整備で、事業者と市が話し合いながらまちづくり を進める仕組みをつくれないか」
釜援隊の提案を受けた市商業観光課は復興推進本部都市整備推進室と協議し、事業者の意見を反映できる要件を検討。住民主体のまちづくりを進めるきっかけに――目的を伝え、佐々木さんらは庁内の調整をはかった。そうして2017年7月、事業者の意見を踏まえ決定すると合意されたのが歩道の舗装パターンであった。
意見交換会の開催が決まると、花坂隊員は地域の事業者たちを訪れ参加を呼び掛けた。分科会に続き行われた代表者会議で、参加者からあがったのは「市は事業者の意見を聞いてこなかった。今更、話し合いの場を設けても遅い」との声。二宮隊員は「市だけでは担えない環境整備もあるのが現実だ。それらをどうするか、これから共に考えいくきっかけなのだ。この機会を最大限にいかしてほしい」と理解を仰いだ。
数回の会議を経て、東部地区の歩道の舗装色は決まった。同時に、議題は市街地に不足する街灯の設置問題へと移行。 事業者から市への要望の場は、いつしか両者の役割分担の場へと変わっていった。
ようやく、協働が始まる。代表者会議に集まる事業者に残った手ごたえを佐々木さんも感じたという。市街地復興事業が始まり 、7年目のことだった。
(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)
地域の声
佐々木護さん(42)市商業観光課
※年齢・肩書は取材当時のもの
中心市街地の担当についたのは2011年の10月。はじめのころは、一日でも早くハードの整備を進めなければ、と必死でした。ソフト面まで考える余力は、正直なところ、当時は無かったかもしれません。建物の造成や個店の再建が進むうちに「これをいかしてどう賑わいを取り戻すか」と考えるようになりました。
事業者の皆さんと話すなかで、二宮さんや花坂さんには非常に助けられています。我々行政では言いにくいところまで事業者に伝えてくれるのが二宮さん。要望を叶えるためには地域にもある程度の費用負担が発生する。そういう現実的な話をしてくれます。市側に問われるのは「事業者の皆さんに一度やると約束したことは決してぶれないでくださいね」という覚悟。官民の間にきっちりと立ち、着実に取り組みを進めてくれる貴重な存在です。
花坂さんが事業者を一軒ずつ回り、会議への参加を呼びかけ てくれたのも大きいですね。本当はそういうことが一番必要なのかもしれませんが、そう思いながらも動けないことがこれまでの行政には多くありました。今は、事業者の皆さんに「今後はちゃんと話合いで決めることができるのだ」と、感じてもらえていると信じています。
東部地区を小さい頃から見てきました。通った学校もあります。どうしたらここにもう一度人が戻ってくるか、賑わいをつくれるか、必死で考えてきました。ラグビーワールドカップ2019™の成功はもちろんのこと、その先にある、地域の皆さんが恩恵を被れるようなまちづくりをしたい。そんな気持ちを共有しながら、二宮さん、花坂さん、そして事業者の皆さんと共に、引き続き頑張ります。
03
協議会設立 目指すまちへ 決意する人、支える人
訪れた学生たちを前に、店主は厳しい経営状況を説明し始めた。「震災以降、売り上げも随分減ったんだよ」「何か対策はされていますか?」店主は首を横にふり、後継者もいないことから前向きになれないと語る。学生の引率をしていた花坂康志隊員はその様子を調査票に書き留めた。
岩手県立大学と釜石市の共同研究は2017年9月に行われた。目的は、ラグビーワールドカップ2019™を控える釜石市で、中心市街地の事業者の課題を可視化することだった。関係者と東部地区の復興まちづくりを協働してきた釜援隊は、その結果を市の施策に反映できるように市と協議。個店の経営状況に加え、まちの環境整備に関する意向の調査項目を加えることを提案した。当時進んでいたまちのハード整備を、市が単独ではなく事業者の意見を反映させながら進めるための下地づくりであったという。花坂隊員は事業者の協力を得ながら各地域の事業者リストを作成し、学生たちと東部地区の71事業者を訪問。結果として東部地区の約7割の事業者から回答が寄せられた。
調査結果は花坂隊員から4地域の代表の事業者に報告された。全体の約7割の事業者に後継者がおらず、震災前より売り上げが下がったと回答。収益向上につながる外国人観光客への対応を希望しながらも、対応策を講じる予定はないと答える事業者が8割にのぼることなどが明らかになった。漠然と感じていた危機感が、数値として可視化されたことへのショックは大きかった、と関係者は話す。
「自分たちはマイナスからのスタートだ」「他地域の事例を学ぶべきではないか」と話し合う事業者たちに対し、花坂隊員はもう一つの調査結果に言及した。商店街組織の設立ーー約7割の事業者が、4地域を包括する新たな組織が必要だと答えていた。同席していた市商業観光課の職員も、今なら市も組織設立に向けた協力をすると伝えた。
問題は代表の選出だった。本業の傍らで数十の事業者をとりまとめる負担は大きい。立候補の手はなかなかあがらないだろう、と関係者は懸念していた。二宮雄岳隊員は、Oh!マチMusic Festaの実行委員長をつとめた新里耕司さん(大町商店街振興組合理事長)に声をかけた。新里さんと二宮隊員は2014年から東部地区のまちづくりを協働している。様々なイベントを運営しながら、その先に目指すまちの姿を何度も議論してきた。
かねての希望でもあった新たな商店街組織の設立に際して、新里さんは次世代のリーダーが現れることを願っていた。しかし、それにはもう少し時間がかかる。「ずっと目指して来られたまちをつくるために先頭に立たれませんか。我々もご一緒します」二宮隊員の言葉に、新里さんは頷いた。
決意した方たちを支えることこそが釜援隊のミッション。二宮隊員と花坂隊員はその後、関係者と設立準備会を開いて趣意書と規約の内容を協議。「復興・振興・創生」を基本理念に掲げ、外国人観光客の対応策や事業環境の整備といったまちづくりに必要な協議を官民連携で行うプラットホームにするという大筋の方針が固まった。2017年11月27日、多方面の注目をあびながら、東部地区事業者協議会は正式に設立。地域を横断した91事業者が加入する、市内で初めての事業者組織が誕生した。
(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)
地域の声
新里耕司さん(62)大町商店街振興組合理事長/東部地区事業者協議会会長
※年齢・肩書は取材当時のもの
東日本大震災で商店街組織が解散し、それまで先頭に立っていた人たちも自社の復興で手いっぱいになった。行政との意思疎通もしづらくなるので、新しい組織が必要だと話し始めたのは3年以上前。「まとまるべきだよね」「組織を作ったほうがいいよね」とは誰もが言った。しかし実際に誰が手を動かすか…となると止まってしまう。そこで釜援隊が来たのが転換点になった。
リーダーになろうとする人はなかなか居ない。私にも被災した自社の経営もあるし、代表を引き受けるメリットが明確にあるわけではない。ただ、人のために働くと必ず自分のためになる、と感じている。周りにも信頼されるようになるわけだから、人として高みへあがっていける。自分のために仕事をする時間の隙間で、他人のために働く時間をつくる。一日は24時間あるから、なんとかなるだろう。
この地で生きていかないといけないなら、商いをする人間として「飽きない」ように生きて「飽きない」ようにまちを繁栄させたい。「本気でここで生きていくのか」という覚悟。そういう信念を持ちながら、常に新しいものを取り入れ循環するまちを目指してきた。最後にこうありたいという姿を描いていれば、そこに必ずたどり着けると信じている。
04
対話が育む「マチ」 行政、地域、歩道整備へ一体
県と事業者が東部地区の歩道の現地確認会が行った日は、朝から雨が降っていた。排水不良で水たまりが出来た横断歩道、破損した点字ブロック。不具合箇所を確認する人々の表情は真剣だ。「市を訪れる人たちに、復興したまちの姿を見せたいのです。県の力を貸してください」という事業者の言葉に、県職員は「今日うかがった皆さまのご意見をもとに、補修内容を庁内で検討します」と約束した。
東日本大震災の被災後、大渡地域の歩道には不具合が生じていた。しかし、津波復興拠点整備事業の指定地域外となり、近隣地域の歩道整備が進むなか復興事業による補修がされていなかった。
釜石駅から中心市街地に位置する大渡地域の外観は、釜石全体の印象に関わる。同地域の事業者たちは、2017年12月と2018年2月に大渡の歩道の全面補修を求める要望書を県に提出したが、歩道としての機能は維持されているので、必要な対策については引き続き検討すると回答を得ていた。
東部地区事業者協議会の設立に際し、議題にあがったのがこれらハード整備の話題である。二宮雄岳隊員は、官民のコーディネーターとしての見解を協議会役員に伝えた。「これからのまちづくりは、地域側もある程度の負担をしていただかなくてはなりません。皆さんがその覚悟をお示しすれば、行政もより積極的に協働を進めてくれるはずです」
実際に、協議会の発足などの事業者の活動をうけ、市も東部地区に新たな街路灯などの照明設備を設置するべく庁内調整を図っているという。役員たちは各地域の会員と話し合い、設備の維持費を年会費から捻出すると合意した。
このような事業者と市の取り組みを、県にも正確に伝えなければ、と釜援隊は考えた。大渡地域の歩道整備について県の職員に再度かけあう、と協議会が決めた2018年3月、二宮隊員は県に関係者との対話の場ーー意見交換会と現地確認会ーーを提案。花坂康志隊員は、大渡地域の町内会や東部地区の事業者を訪問し、参加をよびかけた。
2018年6月4日には、そうして、市職員と地域住民、県職員の意見交換会が開催された。県職員は現地状況写真を示しながら住民から意見を集約。市職員からは、大渡地域を含む東部地区の歩道への足元灯設置計画についての説明がなされた。
翌週には実際に現地へ足を運び、意見交換会で出された不具合箇所を確認。歩道の様子は想像以上のものだったに違いない。そう二宮隊員が振り返るように、現地確認会は「通常のパトロールでは気づけない実態を知る機会」と県の担当者は感じた。
2018年8月、県振興局は市の照明設備設置と連携しながら、大渡の歩道の全面補修を進める姿勢をしめした。
官民連携が実現したと喜ぶ事業者も多い。「このままいけば、我々が望んできた官民連携のまちづくりに必ずなる」と話すのは、協議会会長の新里耕司さん。東部地区で旅館を営む多田知貴さんは、整備された歩道を用いた賑わいづくりに取り組まなければ、と決意を新たにしている。「良い意味で、既存の地域の垣根を超えられるようになった。釜石が生き残るために、事業者でスクラムを組みたい」
震災から約七年半。様々な変化を経た東部地区は、持続可能なまちづくりに向け先陣を切った。協議会の活動で生まれる事業者同士の何気ない会話や、行政との率直な意見交換。それは東部地区の事業者が長年願ってきたものでもあった。
来年には東部地区の歩道に新たな灯がともり、釜石の「マチ」を訪れる人々を迎える。
(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)
地域の声
菅原大さん(33)東部地区事業者協議会役員(大渡地域担当幹事)
※年齢・肩書は取材当時のもの
父親の会社の復興を手伝うため釜石に帰り、直面したのが「このまちで商売を続けられるか」という不安だった。自社は地域の事業者さんをお客様にしているので、まちの状況が経営に響く。何か対策を考えたくても、釜石には都会のようなスキルアップをするための場所や機会がない。
だからこそ人とのつながりの大切だと思い、釜援隊が開催する研修や地域のイベントには積極的に参加してきた。その過程で出会った先輩事業者には「これからはまち全体を見て商売しなければ」と教えてもらった。競争するだけでなく、同じ方向をみて一つになる。新しい文化が釜石に生まれる時なのかもしれない。
心配なのは人口の減少だ。ラグビーワールドカップ以降もどうやって人を呼ぶか…必要なのは多様な「学びの場」ではないだろうか。このまちにはいろいろな経験をしている人がいる。そういう人たちとの交流は、学生インターンや起業を志す人にとって釜石を訪れる理由になるのではないか。受け入れる事業者にとっても、視野が広がったり、採用につながったりとメリットはあるはずだ。
様々な連携を進めるためにも、引き続き釜援隊のようなコーディネーターには居てほしいと思う。事業者は自社の経営が最優先であるし、行政は全体を見なければならず、住民同士も本音を言い合うことは難しい。皆が異なる方向を向くなかでバランスをとり、パイプ役になり、時には厳しく意見を言える第三者は、以前の釜石には居なかった。
まずは協議会を活用し、事業者が地域や商店街の垣根を越えて協力する事例をつくりたい。いずれは会員たちが情報や意見を交換し、互いの商売繁盛につながるのが理想だ。コーディネーターの力を借りながらまちの人々が一丸となり、被災や人口減少のような課題を解決する。そんな、まちづくりの「釜石モデル」を構築し、発信していきたい。