釜援隊の「社会的インパクト評価」

「社会的インパクト」とは、短期、長期の変化を含め、当該事業や活動の結果として生じた社会的、環境的なアウトカムのことです。(社会的インパクト評価イニシアチブHPより)

※参考記事

釜援隊流!ロジックモデル~林業支援編(期間2014.10~2018.02)~

釜援隊ストーリー~林業担い手育成支援編~

こちらの記事は2018年1月~3月発刊の復興釜石新聞に掲載されたものです。

01 多面的価値秘める森林 描く未来 実現へ伴走

これまで釜援隊の「協働先」となった団体や行政機関の数は約20。その一つが、日本初の民間主導型林業スクールを運営する釜石地方森林組合です。林業を通じた地域活性化というビジョンを実現するため、2014年10月に釜援隊との協働を始めました。

協働開始の約1年前、発足から約半年が経った釜援隊は、9人の現場隊員が協働先で活動しており、各隊員を3人のマネジメント隊員が補佐していました。北海道の環境NPOを退職し釜援隊に移った齋藤学さん(2017年卒業)も、マネジメント隊員として他隊員の目標設定や進捗を管理し、活動現場と市内外の関係者との連絡役を担っていた一人です。

齋藤隊員は特定の協働先を持っていませんでしたが、住民のニーズを知ろうと地域行事や現場隊員の活動にも積極的に参加。さまざまな団体と話をするうち、震災を機に釜石の豊富な森林資源に可能性を見出し、森林組合と連携したいと考えている人たちの存在に気づきました。人々が集い防災やコミュニティへの学びを深める場として森林を用いるプロジェクトを進めていた三陸ひとつなぎ自然学校や、木の皮や枝などの未利用資源を再生エネルギーとして活用する勉強会を開いていた釜石・大槌地域産業育成センターです。

現場隊員を補佐しながらこれらの活動に携わっていた齋藤隊員は、森林組合参事の高橋幸男さんとも会話を重ねました。特に、森林は木材の生産に留まらない多面的な価値を持っていると意気投合。「森林を環境教育の場として活用したり、木材の6次化を進めたりしていけば、林業も産業として発展できます」―齋藤隊員が北海道でのさまざまな事例を紹介すると、高橋参事は自身も同様のビジョンを描いてきたと打ち明けたそうです。

一方、東日本大震災で甚大な被害を受けた森林組合は、組織の再建にむけた作業と通常業務、さらに復興のための用地確保の伐採作業などを並行して行わなければならず、企業視察やボランティアの受け入れなどにも対応する高橋参事は多忙を極めていました。

確かなビジョンを持つ森林組合、その可能性に期待する周辺団体…これらの連携を促し、森林資源を活用して地域の復興を加速させられないか。そう考えていた齋藤隊員に、ある時、高橋参事は森林組合に国際的金融機関から林業の人材育成事業への支援が打診されていることを伝えました。

「大変有り難い機会なのですが、今の組合には新しい事業に割く人員やノウハウが無いので、支援を受けるか迷っているんです」と話す高橋参事に、齋藤隊員は「それなら釜援隊がお手伝いできるかもしれません」と協働を提案。 市復興推進本部や(一社)RCFなどの関係者とも、釜援隊と森林組合の協働が地域にもたらすメリットを議論しました。

そして2014年春、釜援隊協議会と森林組合は正式に協働を進めると合意。林業人材育成事業を軸に多様な団体を巻き込み、新たな事業創出を目指すコーディネーターを全国から募集したところ、当時新聞社に勤めていた手塚さや香隊員の応募があったのです。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

高橋幸男さん(53)釜石地方森林組合参事
※年齢・肩書は取材当時のもの

当組合は震災で5人の役職員を失い、事務所も被災し、マイナスからのスタートだった。 存続も危ぶまれる状況で、初めは自分たちのことで精一杯だったと思う。

組合員や市内の企業など地域の皆さんが支えてくださったから今日がある。その恩返しをしたい、林業だけでなく地域に貢献できるリーダーを育てたいと思っていたところで支援をいただき 「釜石•大槌バークレイズ林業スクール」を開講校した。

組合を立て直すという危機に面し、「林業はこのままでいいのだろうか」と考えるようになった。例えばこれまでの林業では、木材を市場に卸したあとの流通にはほとんど関わらない。地域を支える産業として林業を発展させるには、長年続くこれらの仕組みを変える必要があると感じる。

しかし、一次産業の人々だけで既存の構造を変えることは難しい。自分たちの課題を客観的に分析する習慣がないからだ。林業スクールの運営を通じて異業種の人たちと出会い、 経営や組織論なども学びながら視野を広げられたことは大きな財産だ。

願いを持つ人に伴走し、実現に向け共に動いてくれるのが釜援隊だと思っている。齋藤さんをはじめとするマネジメント隊員の皆さんは、何度も事務所に来て悩みを聞いてくれた。協働隊員となった手塚さや香さんは、森林組合に新しい風を吹き込んでくれた。このような人たちがしてくれたことを今一度見直し、残りの協働期間ですべきことは何かを問い直す時期に来ていると感じる。

02 企業に届けた「本音」 結実、前例なき研修内容

国際的金融機関のバークレイズグループから支援され、釜石地方森林組合は「釜石・大槌バークレイズ林業スクール」の開講を決意しました。そのカリキュラム内容を検討していた2014年の夏、関係者は思わぬ難局を迎えます。支援のきっかけをつくった研究機関との間で、林業スクールの理想像をめぐり意見の相違が浮かび上がったのです。最先端技術の導入か、現場研修重視か―膠着(こうちゃく)状態となった議論を打開するため、森林組合の高橋幸男参事は自治体や産業育成センター、釜援隊も一堂に会する場を設けました。

秋には森林組合の協働隊員となった手塚さや香隊員も、新聞社を退職し釜石へ移住。齋藤学マネジメント隊員(2017年卒業)とともに会議に参加し始めました。「森林組合は支援を受ける側として周囲に意見を強く主張できず、間に研究機関の担当者がいたことでバークレイズに直接連絡する機会も奪われてしまっていた」と当時を振り返ります。

さまざまな意見が飛び交った会議の後、産業育成センターの佐々隆裕専務理事(当時)は高橋参事のもとへ赴き、意見を尋ねました。返ってきたのは、林業の技術に特化せず、被災地のこれからを支える教育の場が欲しいとの答え。多様な分野を学びながら視野を広げた人材が、釜石のために必要だと高橋参事は考えていました。

共に話を聞いた齋藤隊員らは、意を決して東京のバークレイズと連絡をとり、釜石の状況を率直に報告。隊員たちの熱意を感じたVice Presidentの佐柳恭威さんが急きょ現地へ赴き聞き込み調査をしたところ、研究機関の担当者から聞いていた内容とは全く異なる情報を得たそうです。

「支援はするが口は出さないという従来の方法ではなく、森林組合や地域が望むものを一緒に作り上げていかなければ。」それは企業にとっても新しい挑戦であったと、バークレイズCOOの森原恒輔さんは話します。

佐柳さんは、東京に戻ると社内に募り「最強のコンサルティングチーム」を結成。林業スクールの意思決定機関や会計監査役の設置、規約や事業計画の作成、法務コンサルティングなど、本格的なサポートを開始しました。

また、休日には何度も釜石に足を運びながら、高橋参事や手塚隊員らとカリキュラム内容を議論。そうして揃ったのは、森林・林業分野では国内外で活躍する講師陣。チェーンソーの使い方や山林調査の方法を学ぶ現場実習に加えてコミュニケーション論、女性の働き方、危機管理術の講義など、従来の林業スクールにはない異色の内容でした。

手塚隊員は林業スクールの事務局運営を一手に任され、講師陣や関係者の調整に奔走しました。受講生の募集基盤が整うと、森林組合のホームページやブログを開設。報道機関の視線も取り入れながら情報発信につとめてきたことで、市内外のメディアに取り上げられた林業スクール。その受講生は3年間で67人にのぼります。なかには林業にかねてから興味があったという女性、親族から山林を受け継いだ若者も。県内に移住し林業に従事する人も輩出しています。

さまざまな人の思いを託された受講生たちに「一本の木を育てるのに、50年かかります。長い目で地域に貢献できる人を目指してください」との言葉を贈りながら、森林組合は次年度の林業スクール運営を準備しています。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

三木真冴さん(32)林業スクール第二期卒業生/東北・広域森林マネジメント機構事務局長
※年齢・肩書は取材当時のもの

出身は埼玉で、もともとは国際協力に関心があった。カンボジアに住み現地の人たちと一緒に働いていたこともある。

東日本大震災後は国際NGOの職員として沿岸に派遣された。団体の活動が終了したのは2016年。同僚が帰京するなか、自分は退職し、住民票を釜石に移した。支援が減っていく被災地では、地域に残り活動を続ける人がそれまで以上に必要とされていると感じ、自分がそうなりたいと思ったからだ。

そのときに申し込んだのが、林業スクール。かねてから林業に興味があったのはもちろんだが、まちに魅力的な人が多かったことも大きい。手塚さんのように市外から来た復興支援員や、震災後に新しく事業を始めた人、頑張る姿に刺激を受け、釜石で林業を学ぼうと決めた。

講義はどれも面白かったが、経営論に基づき日本の林業を分析した話は特に印象が強い。林業関係者の収益の偏りを数値化し、課題を浮き彫りにしていた。現実を知ることで、対応策も考えられる。大切な視点だと思い詳しく勉強していくうちに、「自伐型林業」に出会った。西日本を中心に広がっている新しい林業の在り方で、観光や農業などと組み合わせた複業として林業を行う。安定した収入を得られるから、ドイツでは農家林家が多く、就業者が自動車産業よりも多い。そんな柔軟な働き方を東北にも広めたいと思い、受講中に「東北・広域森林マネジメント機構」を立ち上げた。現在は、県内で自伐型林業の普及啓発や人材育成事業を進めている。

三陸は面積の多くが森林だから、林業は大きな可能性を秘めているはずだ。林業スクールで学んだことを活かし、林業を「稼げる産業」にすることで、復興の役に立ちたい。

03 今しかない 流通改革 地域内連携で、もうかる林業へ

森林所有者の心が森から離れている。それは近年、日本の林業が抱える最大の課題でした。森林所有者の山林への関心低下は、農林水産省が2010年に実施した意向調査でも明らかに。木材価格の下落や採算性の悪化を理由に「林業経営を行うつもりはない」と答えた所有者が全体の8割を占めたのです。

なぜ森林は「負の財産」になってしまうのか――。釜石地方森林組合の高橋幸男参事は、山林所有者である組合員に少しで多く売上を返そうと、東日本大震災前から作業の効率化に取り組んできました。その結果、森林組合は「全国有数」と言われるほどコスト削減が進みましたが、所有者の山林経営による所得は依然少ないまま。

それならば、木材の値段が上がるよう流通の仕組みを変えるしかない。高橋参事は、手塚さや香隊員や釜石・大槌バークレイズ林業スクールの講師らと話し合うなかで、この命題に取り組むと決意しました。

森林組合と外部団体の調整役を担っていた手塚隊員は、高橋参事の思いをバークレイズに伝え、協力を依頼。2015年の秋にはバークレイズの社員を釜石に招き、県内の森林組合職員や近隣地域の製材所、加工業者の社員らを招いた会議を開催しました。

当時バークレイズ経営企画担当であった田中崇仁さんは、林野庁の「森林・林業白書」や専門書を読み込み、森林組合の収益構造を経営学の視点で分析。議論の場では関係者の声に耳を傾けながら、伐採、製材、加工の各過程が細分化された木材流通が「利益が出にくい構造」だと注目を促したのです。

製材所、加工業者がそれぞれで営業や販売の部門を抱え、急な注文に備えて多めの在庫を持つため増加するコスト。さらには、遠方の市場に出荷するための輸送費。これらの「無駄」によって木材調達の買取価格が低く抑えられ、山林所有者に還元される利益が少なくなっている――田中さんの分析は、痛くも鋭い指摘であり、納得のいく内容だったと関係者は語ります。

高橋参事と手塚隊員、田中さんらは、地元製材所経営者らと栃木県の企業視察にも向かいました。そこで見たのは、地域内の小規模な製材所や町工場を傘下に収め、受注から販売までを同社が一括して行う仕組みです。

「ひとつの組織で受注から販売までを請け負う体制には無駄がない」。

林業のプロである高橋参事と経営のプロである田中さんの意見は一致しました。森林組合、製材や加工を担う企業が一体となり、地域の木材産業を支える。関係者が同じビジョンを描き始めた2016年5月、高橋参事が提案し、発足したのが「木材流通協議会」です。加盟したのは釜石・大槌・遠野などの製材所を含めた10社。さらには、釜石市と大槌町、岩手県沿岸広域振興局もオブザーバーとして加入しました。

流通協議会の会長となった森林組合の久保知久代表理事組合長によれば、森林組合が復興の過程で新たな取り組みを続けてきたこと、その姿を手塚さんがしっかりと発信し、関係者の信頼を得ていたことが協議会発足の素地となったそうです。

人材育成と流通改革、日本の林業が抱える問題の解決に先陣を切った釜石地方森林組合。「森林所有者がいるから林業が成り立ち、雇用が生まれ、環境も保全されている」。高橋参事の原動力は、自分を「育ててくれた」組合員への感謝でした。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

久保知久さん(70)釜石地方森林組合代表理事組合長
※年齢・肩書は取材当時のもの

林業は奥が深い。間伐、植樹を繰り返し、ずっと先を見据えて森を育てる仕事だ。農業や漁業とはまた異なる覚悟を持って行わなければならない。

一方で、森林には個人の財産に留まらない価値がある。二酸化炭素を吸収し、災害の被害を軽減させる。環境問題への関心が高まっている現代では、森林が持つ社会的機能は一層重要になるはずだ。

そんな森林への関心を一般の人たちにもっと持ってもらいたいと思ってきた。そのため流通協議会では、昨年、地域住民むけに「DIY教室」を開催した。林業のプロが指導しながら、参加者に地域の木材を使った椅子や小物入れなどを作ってもらう。評判は上々だ。講師となった製材業者や加工業者たちも、普段は消費者と顔を合わせる機会がほとんど無いものだから、良い刺激になったと思う。

こうした新しい取り組みが新聞やTVに出ることで、森林組合のイメージも変わってきたと感じる。以前より親しみやすい存在になれたのではないだろうか。手塚さんの発信力は林業の固定概念を変えてくれている。

東日本大震災後に「地域の役に立ちたい」と志願して、若い職員が森林組合に入ってくれたことに励まされた。新しいことにも挑戦し、夢を実現するのに必要な判断力を持っている高橋参事は「不可能はない」と思わせてくれる。森林組合の、そして流通協議会のこれからが楽しみだ。

04 支援続く仕組み実現 森づくりに「外部」の知見

地域の復興を牽引(けんいん)している団体として、釜石地方森林組合を安倍晋三首相が視察したのは2017年12月のこと。前月には、森林組合は農林水産省が選ぶ「ディスカバー農山漁村(むら)の宝」の全国優良事例として選定されました。約850件の応募から選ばれた31件のうち、林業に特化する団体は当組合のみ。釜石・大槌バークレイズ林業スクールや木材流通協議会、森林体験の運営、六次化商品開発。市内外の人が協働し、 地域の可能性を広げる姿勢が評価されたのです。

「外部の知見を活かした組織運営・森づくり」とは、2014年秋の活動開始時に手塚隊員が掲げた活動目標です。前職の新聞記者としての経験や、移住者ならではの視点をいかしたい、という気持ちがその発端。森林組合の高橋参事も「林業の枠にとらわれない異業種との交流が組合職員の意識向上につながる」と考え、手塚隊員の方針に同意しました。

一方、東日本大震災の風化が進むにつれ森林組合への支援や関心が減少すると案じた手塚隊員は、これまでの外部支援者が引き続き釜石の森と関わり続けられるにはどうしたらいいか、と考えていました。着目したのは、遠方から継続的に支援に訪れていた企業ボランティアと、被災や高齢化によって森林の整備の資金不足に苦しむ山林所有者たち。両者のニーズを考慮し 、企業が山林所有者の植樹や下草刈りなどの年間作業を担う仕組みを設けてはどうか。自分がその調整役になる、と手塚隊員が提案すると、高橋参事は「手塚さんならではの新鮮な発想だ」と背中を押し、ともに関係者との交渉に向かいました。

以来、箱崎半島の森林の一部はこの枠組みに参加した千代田化工グループが整備しています。通称「千代田の森」。同社が費用を負担し社員がボランティア活動をする現場です。震災以降、山林経営を諦めていたという山林所有者からは、社員との交流を通じ「山をもう一度作っていく力が湧いた」と嬉しい声が寄せられ ました。

さらに手塚隊員は、釜石を訪れた視察者や観光客向けのお土産品開発にも着手。 釜石・大槌産の杉を使い、地域企業が製作する六次化商品として、木製の枡やキーホルダーなどを開発しました。 加工費が地域企業に還元されるほか、売上の一部は植樹の際の苗木代に充てる仕組みは高橋参事の発案です。

釜石の木材と鉄の加工技術を組み合わせた木製家具「mori-to-tetsu(森と鉄)」は、森林組合を視察した安倍首相に紹介され話題に。「地域以外からやってきた人と知恵を出し合いながら、新しい生業(なりわい)の芽を伸ばしていきたいという意欲を感じる」被災地復興・日本経済の再生に不可欠な要素として、林業振興に力を入れたいと安倍首相は語りました。

森林組合の広報担当として情報発信も強化してきた手塚隊員。いつでも問い合わせに対応できるよう、PRエピソードや事業目的、年度ごとの取り組み実績をまとめた資料を用意しています。「林業スクール受講者、252人・131人・150人」「森林体験プログラム参加者、435人・474人・206人」――記された人数は手塚隊員がつないできた森林組合の応援者の数でもありました。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

植田收さん(69)釜石地方森林組合理事
※年齢・肩書は取材当時のもの

私の家には先祖から引き継いだ山の木を使っている。津波でがれきに埋もれ天井も壊れたが、数年をかけて修理した。祖父が育てた木を使った家を壊すことはできなかった。

山林は有事の際の「保険」になる。震災時には持ち山の木を売って自宅再建の費用を工面した人も多かったと聞く。

しかし、昔に比べて木材価格はずいぶんと下がった。手をかければ太い幹の木が育つとか、広葉樹を一部残せば栄養豊富な水がうまれるとか、祖父が私に教えてくれたようなことに価値を見出す人は多くない。

かくいう私も、山林の後継者を育てられなかった。七十近い自分がこれから苗木を買い、十年かけて保育間伐して…と考えると二の足を踏んでしまう。震災後は資金難も重なり、もう再造林を止めよう、と思っていた。そんな時に声をかけてくれたのが高橋参事だった。

スギ一辺倒ではなく針葉樹に広葉樹を混ぜて植林するという新しい方法を提案しながら、ボランティアが山づくりを手伝うから、もう一度山をつくってみないか、と。それも単発ではなく、継続的に来てくれるというので、やってみようか、という気持ちになった。

「千代田の森」が育てば、交流の場がまた増えるかもしれない。都会の人たちの憩いの場として使ってもらえたら嬉しいし、植林のやりがいも出てくる。ボランティアのなかには、「人生の節目には自分が植えた木を見に釜石へ来る」と約束している人もいる。人との付き合いが二十年、三十年先まで続くことが山の良いところだと思う。

地域には私のように資金難や後継者不足に悩む山林所有者が多い。手塚さんが色々なメディアに発信しているおかげで、森林組合も変わったな、と関心を寄せるようになった組合員も多いはずだ。森林組合には、困ったときに頼れる存在であり続けてもらいたい。