釜援隊の「社会的インパクト評価」

「社会的インパクト」とは、短期、長期の変化を含め、当該事業や活動の結果として生じた社会的、環境的なアウトカムのことです。(社会的インパクト評価イニシアチブHPより)

※参考記事

釜援隊流!ロジックモデル~災害・復興公営住宅自治会形成編(期間2014.02~2017.07)~

釜援隊ストーリー~災害・復興公営住宅自治会形成編~

こちらの記事は2017年5月~7月発刊の復興釜石新聞に掲載された内容を一部加筆修正したものです。

01 新たな孤独 初めての共同生活 住民、行政、「終の住処」で課題直面

鉄筋コンクリート構造の大きなマンションが平田地区に建てられた。2014年2月、市内で初めての県営災害公営住宅である(通称平田アパート)。遠くからも見える大きなマンションには、釜石市内や隣町から約80世帯が入居。翌年の1月には、世帯数は110世帯まで膨らんだ。

平田アパートは、避難所や仮設住宅の生活を終え辿り着いた「終(つい)の住処(すみか)」だと人々は期待を膨らませた。しかし、問題は生じた。

当時、入居者の4割は80代以上の高齢者。多くが震災以前は一戸建ての家に住んでおり、マンション生活に慣れていない。共益費の支払い、当番制の共有スペースの掃除、ペット飼育の禁止。初めて直面する共同生活の条件に入居者は戸惑った。

次第に「同じ階にどんな人が住んでいるか分からず不安だ…」と部屋にこもりがちになる人まで現れた。入居者の多くはそれまで住んでいた地域を離れて平田アパートに集まっている。新たなコミュニテイを作らないといけないが、入居者同士で顔を合わせる機会は少ない。平田アパートに移ってから、ご近所づきあいというものがなくなった、との声は多かった。 

「平田アパートに早く自治会をつくってほしい」過去にマンションで生活したことがある入居者は、県の担当課に問い合わせた。住民の声をとりまとめてアパートの問題を報告したり、解決策を探したりするのが自治会の役割だと知っていたから、と話す。

復興住宅のコミュニテイ形成支援は、自治体職員にとっても初めて。そのため、県の対応は入居者の声に追いつかなかった。他にも「平田アパートは県営。担当課の職員は内陸におり、現地から離れていた」ことも、対応が後手に回った理由の一つだと関係者は話す。「未知の業務に取り組むわけだから、行政の課内でも既存の枠組みを超えて連携するべきであった」平田アパートは、行政関係者に大きな教訓を残した。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

小林德夫さん(72) 県営平田災害公営住宅自治会会長
※年齢・肩書は取材当時のもの

私は20年ほど、釜石の家族と離れて東京で働いていた。ようやく故郷に戻ってきた1年後に被災。避難所、親戚の家、貸家、仮設を一人で転々とし、「あの頃もっと家族と過ごす時間をもっていれよかった」と思った。

行く先々で助けてくれた人たちのことは、この先も忘れないだろう。浜で水を汲むのを手伝ってくれた漁師の人、無料で駐車場を貸してくれた大家さん。皆、ちょっとしたきっかけで仲良くなれた。

今の若い人は単独行動が好きなように思うが、人とコミュニケーションをとって損をすることはない、と伝えたい。自分が困っているとき、事情を話せば助けてくれる人は案外多い。身をもって知った。

平田アパートに引っ越したとき、県の職員から「平田アパートの管理人になって欲しい」と頼まれた。共益費を集めるくらいなら、と引き受け、アパート全体を見渡すようになった。そうして、思い出したのが東京でのマンション暮らし。ルールが曖昧(あいまい)で、守らない人がいて皆が迷惑した。近所との交流もなく、話し相手もいないので、住むためだけに帰った。それは「死んだようなアパート」ではないか……と悲しくなったのを覚えている。ここを、そんな場所にはしたくない。一つ屋根の下に住むなら、私たちは家族なのだ。

釜援隊のような人たちがいる間に、出来るだけのことをしておかなければ、と焦る気持ちもある。私はもともと引っ込み思案な性格なのだが、これからは自分が、釜援隊のように、住民と外の人たちをつなぐパイプ役になりたい、と思っている。

入居者たちに「自治会活動に協力してくれ」と、一方的に言うだけではいけない。皆が、自主的に関わってくれるように、工夫をしたい。

02 自治会設立、今こそ 本音の話し合いで一歩前進

東日本大震災の発生から三年が過ぎると、市外から訪れる支援者の数は減り始めた。一方で住民のニーズは存在する。平田アパートからは「自治会をつくりたい」との声が毎日のように寄せられる。支援者や物資を届けるだけでなく、被災地域の住民たちが自分たちで課題を解決していく仕組みづくりが必要だ――釜援隊と支援者たちは、対応策を話し合うようになった。

平田アパートの入居開始から約9ヵ月が経った2014年11月。市の職員は、平田アパートに関する様々な声をもとに県の職員と話合いを始めた。「行政の課や立場を超え、より柔軟な役割分担や情報共有をする」と合意したのはこのときである。釜援隊や社協などの支援者とも柔軟に連携しようと、と方針も固めた。いよいよ、官民の支援者たちによる協働が始まったのである。

県と市の職員、釜援隊、社協などの支援者は「平田アパートの自治会形成」という共通の目的を設置。そこに平田アパートの入居者を加え、2015年1月には「第一回住民懇談会」が開催された。

平田アパートでの、皆さんの問題意識を共有しましょう」市の職員が参加者にそう伝えると、反応は様々である。「ルール違反者を行政がしっかり取り締まってくれないか」「人によって状況は違う。もっと柔軟に対応してほしい」 入居開始から約一年、様々な思いを抱えた入居者たちの間では激しい口論も生じた。しかし、「初めから本音で話し合えたことが良かったのかもしれない」という市職員もいる。

「皆さんの意見をとりまとめ、解決策を探るのが自治組織です。自治会の設立に、改めて協力していただけませんか」一連の議論の後、行政がそう呼びかけると、ほとんどの参加者が同意。役員を引き受けた。翌々月には、懇談会参加者らによる「自治会設立準備委員会」が立ち上がった。

災害(復興)公営住宅での自治会づくりは、行政にも住民にも初めての経験である。それまで以上に互いの立場を理解し、協力し合う姿勢を作る必要があった。そのために官民のつなぎ役として配置されたのが、二宮雄岳隊員(当時48)である。二宮隊員は数十年務めていた金融機関を辞め、単身で釜石へ移住。「被災地に灯(あかり)をともしたい」と、平田地区の現場活動と地域軸隊員もマネジメントを兼任した。

2014年10月から平田地区生活応援センターと協働を始めた二宮隊員は、自治会設立に向けた一連の話合いに調整役として参加。様々な意見が入居者から寄せられるなか、中立の立場で両者の間を取り持った。行政に入居者の声を伝える一方で、時には「行政に頼むだけでなく、ご自分たちでも取り組める解決策を考えましょう」と行政側の事情を入居者に説明し、理解を仰ぐこともあった。

また、二宮隊員は自治会役員以外の住民とのコミュニケーションも大切にしていた。日中、夕方、そして夜間と、全ての入居者と顔を合わせるまで訪問。会えたときには「平田アパートの住み心地はどうですか?」と、ざっくばらんに会話をしながら、日常の困りごとを尋ねる。そんな全戸訪問を続けていると、一人で抱えていた問題を打ち明けてくれる人も増えた。「皆さんの課題を一緒に解決するために、自治会を設立したいと話し合っているんです」との説明に興味を示してくれる人を、そうして増やしていったという。

入居者のなかには、仕事などで忙しく自治会活動などに関われない人が多い。しかし、自分の住んでいる場所で起こっていることを把握し、課題を自分事と捉えてもらうことは出来る。二宮隊員はこのような取り組みをコニュニティ形成支援の要ととらえ、他地域で同様の活動をしている隊員にも全戸訪問を推奨している。

行政・支援者・地域住民、それぞれが自分の立場で出来ることを考え、協働の決意を固めた2015年5月16日。ついに平田アパートの自治会設立総会が開かれ、110世帯中83世帯という高い参加率(委任状を含む)で、自治会の設立が合意された。

一時は「不可能だ」とさえ言われた平田アパートに自治会が立ち上がったというニュースに、関係者からは驚きと安堵の声があがった。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

大久保孝信さん(58)市民生活部部長
※年齢・肩書は取材当時のもの

東日本大震災の発災後、私は地域づくり推進室(当時)の室長。避難所や仮設住宅の運営を担当した。

災害対策本部には全国から支援の物資や人が押し寄せた。ある支援者には「被災者のために何かしたい」と言われ、ジャズ・コンサートの開催を手伝ったこともある。様々な業務に追われ本当に忙しい毎日だったが、そんなときだからこそ協力したいと思った。

どんなときも、楽しいことがないと参ってしまうから。私自身も、当時は仕事帰りに営業を再開した馴染みのBarに立ち寄り、元気を出していた。

頂いた支援物資などは、仮設住宅、みなし仮設など全ての被災者に届けなければならない。実際のところ、それが本当に大変なのだ。さらには、被災者のニーズも時間が経つにつれどんどん広がり、内容も変化していく。行政だけでは対応できない状況だったので、社会福祉協議会やNPOなど民間の支援者とも柔軟に連携する姿勢を初期からとった。

私は、被災地域での新しいコミュニティ形成には外部支援者の力が必要だと思っている。そう気付いたのもこの頃だ。例えば仮設住宅で釜石市職員の代わりに全戸を訪問し、自治会の発足を手伝ってくれたのが大阪市職員の皆さんだ。彼らの明るい関西弁は、住民の皆さんが親しみやすく、心を開きやすかったようだ。平田の災害公営住宅自治会形成でも、二宮さんが我々(市)と県・住民の間に立ち、こちらの意見や事情を伝えてくれた。

色々な人の協力を得ながらようやくここまで来たな、と感慨深い。

03 住みよい環境自分たちで 役員の志 支える隊員

県営平田災害公営住宅(平田アパート)の自治会役員となったのは、小林徳夫さん(当時72)などの14人。入居から約15か月の間、平田アパートの様々な問題を感じながら「住みやすい環境を自分たちでつくろう」と決意した人たちだった。

最初に取り組んだのはルールづくりである。ゴミ捨て場の掃除当番や共益費の集金方法、集会所の利用規約など早く設置するべきルールは多い。一方、役員の約半数は70代。自治組織役員の経験者も少なく、支援者のサポートが不可欠な状況であった。同時期の2015年5月に平田地区担当の釜援隊員として着任したのが、遠藤眞世隊員(当時28)である。

他隊員と同様に、遠藤隊員も平田地区の仮設住宅に住んで住民と日常的に交流。そこで平田アパートの住民と信頼関係を築きながら、住民の困りごとを聞くというのが、彼女の最初の活動であった。

次第に「地域に異世代間の交流が少ないのではないか」という自身の視点も加え、課題を深堀り。地域軸担当のマネジメント・二宮隊員、協働先の平田地区生活応援センターと協議を重ね、三つの活動テーマが決まった。一つは「仮設住宅団地の自治機能の維持・強化」、二つ目は「子供の安心・安全な遊び場かつ異世代間交流の場となる『放課後子ども教室』の設置」(※別ページ参照)、三つ目が「平田アパートの自治機能の構築」である。

いずれも、黒衣(くろこ)としての活動であった。平田アパートの自治会役員の代わりに会議資料をパソコンで作ったり、助成金の申請を手伝ったり。時には「何のための、誰のための自治会なのか」と役員同士の話合いも促した。

「規約類の整備が終わったら、入居者同士の交流の場をつくりたい」と、役員たちは話すようになっていった。平田アパートに住み始めて数か月が経ってもなお、隣人の顔すら知らない……と話す住民も少なくなかったからだ。入居者交流会は、役員たちの目標になった。

とはいえ、交流会の企画経験がある役員は少ない。海外でのコミュニティ支援経験もある遠藤隊員。役員会議では「催しものは色々な年代が楽しめるものにしたらどうでしょう」「会場の備品を○○から調達しましょう」とアイディアを共有。また、役員と一緒に会の案内状を作って全戸を訪問し、入居者に参加を呼びかけた。そのうちに準備に協力してくれる人も増えていったという。

そうして2016年1月、自治会の発足から約八か月後に平田アパートでは新年会が開催された。参加者のなかには初めて顔を合わせる人も。そこで活躍したのが「手作りカルタ」だ。遠藤隊員と役員、協力者たちによってつくられたカルタには「(り)漁師町、今日もアワビの口開けだ」「(せ)洗濯物、どこかに潜んでるカメ虫が」など、平田地区のあるあるネタが満載。その狙いどおり、子どもも高齢者もカルタ大会に参加し、笑いの絶えない楽しい時間が流れた。

平田アパート内での交流に加えて、新年会は平田アパート自治会と平田町内会の人々の交流の場にもなった。

釜石に限らず、被災地では復興公営住宅に入居した人々が地域から孤立する、という問題が生じる。もともと地域に住んでいた人も、新しく住み始めた人も、一緒に地域課題の解決に取り組む――そのために必要な関係づくりに、平田アパートの人々はいち早く取り組んだのだった。釜援隊はこれを復興庁事業「新しい東北」先導モデル事業の一つ、「復興公営住宅と既存地域の融合」として取り組んでいる。

同年の夏には、釜援隊がコーディネートした企業ボランティアと一緒に平田アパート内に花壇をつくったり、夏祭り(地域大交流祭)を開催したり、地区内外の様々な人たちと交流する場を作った。なかでも平田地区の中学生を招いてのソーランや地域団体による伝統芸能の虎舞は大盛り上がり。発起人である自治会長の小林徳夫さんは「高齢者が外に出る機会が必要だ。こういう活動を各地域の自治会は少しでも早く取り組むべき。そのモデルケースになれれば」と決意を新たにした。

役員の人たちから「おらほの嫁」と親しみを込めて呼ばれる遠藤隊員。平田アパートでの活動を、次のように振り返る。「平田アパートが、気を許せる人たちに囲まれた住みやすい居場所になってほしいとサポートしてきました。そのなかで学んだのは、一つの成功体験が次の活動へとつながるということです。例えば花壇づくりは普段あまりサロンなどに参加することのない男性たちが活躍する場となり、そこで顔見知りとなったメンバーが、夏祭りでやぐらを一緒に建ててくれました。」

自治会の次の目標は「アパートの課題を自分事と考え、積極的に行動してくれる人を早く増やすことだ」と話す小林自治会長。遠藤隊員と異世代交流のイベント構想を練る。

「自立自走する自治会」を維持するため、平田アパートは正念場を迎えている。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

柳田慎也さん(37)県営平田災害公営住宅自治会副会長
※年齢・肩書は取材当時のもの

自分の年代で自治会の役員をしているのは珍しいと思う。平田地区の出身なので役員には昔から知っていた人が多く、副会長を引き受けたのも、昔からお世話になっているおばさんに頼まれたからだった。

自治会というと面倒なイメージを持つ人が多いが、実際に頼まれたのはイベントの裏方や、会議資料をパソコンで作るくらいで、たいしたことはしていないよ。そのたびに役員のおばさんは「御礼」といってビールをくれるので、有り難いやら、申し訳ないやら。

夏に自治会が主催した「地域大交流祭」は思い出深い。平田地区の伝統芸能である虎舞を、子どもからお年寄りまで、地域の様々な人が見に来てくれた。「ようやくここまで来たか」と感慨無量だった。道半ばだが、時は良い方向に進んでいる。

しかし、高齢の役員だけでは絶対に立ち行かなくなる。釜援隊のような支援者もいずれいなくなるのだから、若い世代に協力してもらうかしかない。

高齢者の引きこもりがよく取り上げられるが、孤立しているのは若者だ。ボランティアによるサロンも、平日の昼間に開催されては参加できる若者は少ない。思えば仮設にいたときから若い世代が交流する場はほとんどなかった。

自分は皆(役員)が困っているのが見えたから、手伝おうという気持ちになった。そもそも顔を合わせる機会がなければ、そうはなれないだろう。 

お祭りのように色々な世代が気軽に参加できる場を増やすしかないと思っている。他の災害公営住宅ではどう取り組んでいるのだろうか。ヒントがほしい。

04 「自治会設立」のアウトカム(成果) 支え合いの心 立場、地域こえ波及

平田アパートの一連の取り組みは、行政や社協、民間支援者の新たな連携を促した。

2016年4月、市・社協・岩手県建築住宅センター・NPO・釜援隊などの支援者は「東部地区復興住宅自治会設立支援プロジェクトチーム」を結成。支援者間で入居者の声を共有したり、自治会形成に向けた諸会議・交流会運営の役割分担をしたり、定期的な集会の場を持つこととした。

2016年5月から釜石地区生活応援センターと協働してきた東洋平隊員も、チームのメンバーの一人。この一年、12棟のもの復興公営住宅で自治会形成に伴走した。Uターン者は東隊員は、自身の故郷・釜石を支える仕組みをつくりたいと強く思う。一方では、さまざまな人や意見の狭間(はざま)に立ち「住民の皆さんがご自分たちで考える土壌を作るために、必要な支援はなにか」と自問することも少なくない。会議は多様な立場の支援者が意見を交わし、それぞれの視点をアップデートする場にもなっている。

ハード面の復旧現場を統括してきた関係者は「復興公営住宅の建設にあたって、入居者同士の交流の仕掛けを織り込むなどソフト面も意識したい」とチームメンバーに気持ちを共有した。また「復興の現場は常に『過渡期』であり、自分たちがその時に『目指すべき位置』を正しく見据えているか、試され続けている」と話す。「目指すべき位置」を互いが確認するためにも、連携の意義がある。

自治会形成支援と並行し、市・社協・釜援隊は2015年度復興庁「新しい東北」先導モデル事業にも取り組んだ。その名は「かまいし版地域包括ケア”みんなの”プロジェクト」。コミュニティビジネスや自治会・町内会の交流事業など、住民同士の支え合いを促進するのが目的だ。複雑多岐にわたる地域の課題を、組織や立場を超え「みんなで」取り組まなければ、との思いがこめられている。

「高齢世帯の買い物代行」「寄合の場づくり」などのコミュニティビジネスは対象地域住民によって主体的に取り組まれ、2016年度には市事業として採択された。また、市は2017年度から「生活支援コーディネーター」という役割をつくり、社協職員にその任を委ねた。プロジェクトを主導した行政職員は、こう振り返る。「支え合いの理念に共感する人は多い。しかし、それを住民に伝えるため、時に毅然(きぜん)と向き合い、一緒に考える人を増やすことは大変だ。地道に種をまき続ける釜援隊の志には、引き続き期待している」

日本全国で「コミュニティ」の在り方が問われ、プレーヤーとしての市民やNPOへの期待は高い。先駆的事例として、協働者の釜援隊は2016年度に復興庁から復興功績顕彰を受けた。市外から視察や取材に訪れる人も増えている。

いち早くまちづくりの命題に向き合ってきた被災地だからこそ、他者へのヒントを示せるのかもしれない。

(取材執筆:釜援隊広報・佐野利恵)

地域の声

小原裕也さん(24)社会福祉協議会・生活支援コーディネーター
※年齢・肩書は取材当時のもの

東日本大震災は私が高校を卒業した数日後に起こりました。岩手県立大学に進んでからは「学生ボランティア」として沿岸を訪れ、ご縁があって釜石でも多くの日を過ごしました。

復興の現場で学生に出来ることは限られています。それでも、釜石の人は私たちをとても暖かく迎え、声をかけてくださいました。支援しに行ったのに、逆に元気をもらっていました。その「恩返しをしたい」と思い、2015年から釜石市社協で働いています。

社協職員となり最初に携わったのが、復興公営住宅の自治会形成と「”みんなの”プロジェクト」です。1年目は反省することもよくありました。「やってあげたい」と自分が動くことが多かったんですよね。そのたびに「住民が自分たちのために必要とする自治会なのだから、それを支える黒衣(くろこ)になりなさい。」と周りから教わりました。

「自立を助ける」とは、その人の「選択肢を増やす」ことなのかもしれません。例えば「交流会を企画してほしい」と言われたら、他の地域での事例を紹介したり、自分たちで出来ることはないか一緒に考えたり。

住民の声を丁寧に聞きながら新しい発想を促し、住民の選択を大切にする東隊員から学ぶことは多いです。支援の現場から「復興」の頭文字がとれたとき、釜援隊がやってくれたような細かいフォローをしながら、先のビジョンを持ち続けることも、これからの課題だと思っています。

生活支援コーディネーターの仕事はやりがいがある一方でとても難しいです。「自分は何もできていないのではないか」とやるせなく思うこともあります。しかし、中途半端な気持ちではここに来ていません。釜石の“みんな”が「もう大丈夫」と言える日まで、頑張ります。